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​源光寺の歴史

 昔、入江長者が娘の病を治した行基菩薩に八町四方の土地を寄進し、天平19年(747年)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開山。もと平生寺と号した。

 天治元年(1124年)良忍上人が中興して融通念仏の一派、中嶋大念仏の本山となったが、やがて衰退。建永元年(1206年)勝尾寺から法然上人が四天王寺へ日想観を修するために赴く途中、行基・良忍ゆかりの旧跡が荒廃しているのを嘆いた法然上人が、承元3年(1209)「源を たづねてぞ知る この寺の 光あまねき 法のともしび」と詠み再興に尽力し、この歌から源光寺の名をとり、浄土宗に改めて浄土大念仏本山として復興したという。

 

 文政3年(1830)火災により一切の堂宇、勅額・綸旨・縁起などを焼失したが、本尊は火難を免れた。現在の堂宇は文久元年(1861)の再建によるものである。他に西国三十三カ所観音堂・鐘楼などが残っている。

 

 円光大師旧蹟のひとつであり、大変珍しい御旅姿の法然上人像が所蔵され、報恩追慕のために多くの方々が参拝に来られる。尚、平成23年の法然上人八百年遠忌を記念して、長らく廃絶していた巡礼が復興され、現在「大阪新四十八願所阿弥陀巡礼」第二番札所となっています。

 

 本尊の阿弥陀如来像は鎌倉後期の作と推測される立像。加古の沙弥(しゃみ)教信が吉野の勝手明神より感得した霊像と伝わり天筆如来と号される。海上の竜神をおさめたという伝承もある。秘仏で両彼岸の中日のみ開帳される。大阪府有形文化財に指定されている。その他、法然上人旅姿像・弥陀三尊軸・両界曼荼羅など多数収蔵している。

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